よく「徳を積む」と言いますが、「徳」には種類があると言われています。
先祖代々の徳、前世の徳、今世の徳
影ながら行う徳、人の目に触れる徳
魂の徳
さまざまです。
「徳」とは何か
宇宙の理は「善」「悪」を判断することがありません。
では、なぜ「徳」というものが存在するのでしょうか。
それは、この「現世」だからです。
この世界には「倫理」「道徳」というものがあります。
ある一定のルールを設けないと、世界が混乱してしまうからです。
その一定のルールを管轄しているのが、「神」と呼ばれる存在です。
そして、人の行いを見に来ているのが天使たちです。
肉体を持って、この次元に生きている私たち人間は、ルールを決めないとあっという間に滅んでしまいます。
また、期待や見返りを求めて行う徳は徳ではありません。
そういう徳は「無」です。
魂の徳
まず、1番徳を積む行為は、この世に生まれてきた使命を果たすことです。
生まれてくる時に、今世でやることを決めます。
(たまに、「何もしない」を決めてくる人もいます。)
それをしないと、1番大切なことをしなかったことになります。
あちらの世界で言い訳は通用しません。
まずは、自分の使命(やりたいこと、やるべきこと)をしましょう。
これが、魂の徳です。
影ながら行う徳、人の目に触れる徳
あなたは電車などで人に席を譲ったり、車の運転などで道を譲ったりしたことがありますか?
これは、人の目に触れる徳(陽徳)というものです。
人の目があるとかではなく、「自然に」道端にあるゴミを拾って捨てることや、誰に頼まれたのでもなく掃除をすること、交番に落とし物を届けることなどは
影ながら行う徳(陰徳)とされます。
どちらも善意からくるもので同じ徳なのですが、少しだけ違います。
やはり陽徳の方がどうしても人の目を意識してしまう部分は多少あるかと思います。
「いい人を演じている」に近いかもしれません。
その自分の意識の入り方によって、差ができてしまうのです。
そのため、陰徳の方がポイントが高く「良し」とされています。
しかし、私は例え人の目を意識しても
それは素晴らしいことだと思います。
「相手を思いやる」という、素敵な行為だと思います。
何もしないよりかは全然良いことです。
「徳」を意識しすぎない
徳ポイントほしさに、意識しすぎてバンバンなんでもする人がいます。
それはそれで、大変な迷惑行為です。
以前も書きましたが、この世界はバランスで成り立っています。
過剰な行為には必ず反対の作用が働きます。
逆のことをやりだす人が出てきます。
そしてまた、その逆のことをやった人を叩く過剰な正義感を持った人が現れます。
バランスを保つためにいろんなことが起こってしまいます。
あくまでも「自然な流れ」で行うことが、望ましいと思います。
知っていても知らなくても、見えていても見えなくても、相手を純粋に心から思いやる気持ちと行動が、あなたに素晴らしいものをもたらします。